諦めとか、絶望とかの話

くだらない理由で
自分では抑え切れない憎しみを
僕に向ける人が
よくいるのだけれど

(そもそも人に好かれるように生きていないけれど)

一時的な立場で僕を蔑んで
それが破綻したら
死にたがり

このパターンは飽きました
優越感に浸りやすいのは
あほう の 共通点 ですか

昔はブログが主流で
mixiが出て、今はTwitter
どんどん構ってちゃんの為に
Webのソーシャル化が進む

助けを求めやすくなって
弱い人間ばかりが増える

独りだから続けられることもあると
判る人はいるのか

碌に人と関わらず
ひたすらに書き続けた日々は
決して無駄なものでは無かったよ

君たちは
僕より弱いんだ、弱過ぎる
僕が異常なのではなく

誰かが成功しないと動けないなら
君たちに成功は訪れないよ

(Twitterは攻撃ツールとしては非常に優秀ですね。)

状況はどうだい?

僕は僕に尋ねる

結婚しました。

一生縁のないものだと思っていただけに
わからないですね

死ぬ理由がなくなったのは
少しばかり寂しくもあるのですが

選択したのは自分なので
精一杯生きます

突っ走ったままのコースは
あと1年くらいで潰れていたのか

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選択が早いって
寂しいのは嫌なんだ

好きに生きると
発作が起きるんだ

根本から足りていない
わかっているからこそ
それを欲しがるのではなく

ねじまわし

卒塔婆が歯に刺さっている。

仮に
限界というものを定義するなら
それは既に足元にあるのでしょうね
理解はしているけれど、把握はしない
そうしないと、動けないから

そもそもあまり
揺らぐことなんてなくなった
だから偶に来るとこうも大変なのでしょう
とにかく気持ち悪い。

悪いのは自分って
決めつけた方が楽なんだ
一方的に蔑まれたり、裏切られたり、捨てられたりしても
原因を全部自分と仮定して
自分を落としてから行動に移る
結果的に人間不信になるのが条件だけれど

逆に言えば
これが正常にできなくなる時は
人を人として見ているということ

自己嫌悪で塗り潰すのがここまで厄介なのは初めて

あと、最悪に鬱陶しいものに纏わり付かれる

それともあれか
湧き上がるそれを絶対悪としているのが問題なのか

やめだ、自己正当化とか気持ち悪い。

煮え切らないのは甘えているだけ

爆発的な否定要因に、困惑していて
反動が大きいだけなんだろう
でないと、この衝動は説明がつかない

この感覚
16歳の頃に似てるなぁ
あの時程短絡的ではないけれど
閉塞感みたいなもの、か。

いい年になってきているのに
相変わらずだな全く
偽りでは襤褸が出てしまう

いつになったら落ち着けるのか
果てしない諦めの海に全部投げ捨ててしまえるのか

絶対的な何かが足りない
納得が行かないのは、それが補えるものだとわかっている点か。

そうだ 生きる

もうここを見ている人は

殆ど居ないのだろうけれど

賭するものがあるから

結局は動くことができるのでしょうね

あのまま突っ走った僕なら

きっと今頃電池切れだ

何人かが先にみた感覚は

こんな感じなのでしょう

わからないだろう なんて

強がっていた自分もいるのでしょうね

くだらないからあきらめない

変な意地で生きた例がこれで

そこそこ器用に
運良く若かったんだ

まだ
おわりません よ。

別に何てことないんだ

随分と放置でしたね。

最近はめっきり話すこともなくなりまして
いい事なのか、そうではないのか

淡々と仕事をして暮らしています。

経験かどうかはわかりませんが、落ち着きだけは手に入れたようです。

あれこれ足掻いても
結局同じように生きていけるのか
結局同じように生きるしかないのか

ただ
無駄ではなかったと、思う。

あの日々は
別に遠くもないし、近いとも感じない

並行世界みたいなもので、手の届くところにはあるのだけれど

ただ、会って一言云いたい人が

あとふたり

いつか見つけて伝える

相変わらず音楽はずっと聞いている

もう2年くらいsyrupは聞いていないけれど
今は純粋な音楽として楽しめそうなので

amazarashiが いいですね

興味のないことを放棄できるようになっただけ
余裕ができたのかと思います

そういえば、冬はもう怖くないんですよ

桜の匂いで死にたくなることもないんですよ

でも、忘れたわけじゃない

あの感覚は、いつでも取り出せるようにはしておきます

人間らしい文章を書くようになりましたね。