悲観楽観交互に積木崩し

別に被害者ぶりたいわけではない
あったことをそのまま言っているだけで、周りはこれを可哀想と思うのが多数派らしい、周りの価値観なんぞ知らん

少なくとも、今になれば
此処まで比較的不幸に苛まれ続けたことは
ある種のストレステストのようなものだったのだろう

これらを乗り越えてきた事を
もっと振り回して
無知蒙昧な人間を轢殺していくくらいの気概で良いのだろう

このストレステストで造られた反骨精神と、壊れた倫理観が
何かを為すのに丁度良い

この国は資本主義だぜ
知らないことは罪でしかないし、搾取される側でしかない

半死半生の時間文無し

貧乏に生まれる といふのは
罪というか
もはや業と
言えるのではないかと
考えて笑った。

永劫に付き纏い続けるのは
金に困った経験とその記憶
そして、それらに対して無力だった記憶

金があればこの幻覚を寛解できると
ずっと信じていたが
増え続けるのは安心ではなく
金の喪失に対する恐怖と不安

今になっても代償が重すぎるし
多分死ぬまでなくならないものだという
ぼんやりした諦めがそこに見えている

勿論、金を抱えて死なないために
相応に対策はしていくつもりだけど
金を使って怒られる昔から、金を使わないと怒られる今 になる
意味がわからない、都合のいい話だ

最初から最期まで、人より苦労が倍々ゲーム
随分罪深いが、前世で何をしたのだろうか

恐怖を認めて進む

最近気づいたのだが、私が永く昔から此処に思考を落としているのは
この「えも言われぬ感情をなんとか表現したい」という
いわゆる「言語化」のためではないかと思った。

恐怖を持つことが悪いことではない。理由を言語化することができれば、如何様にもできる。
そのまま恐怖として扱って、嫌なことから逃げる手段にもなれば、振り回して正当防衛の手段にもなる。
そうなるとそれは恐怖ではなく、畏怖や敬意とまで言える。

本当に恐ろしいのはその理由を理解していない、言語化できない恐怖だ。
一度持ってしまうと意思に反して無限に肥大していく。
それに囚われて動けなくなる。或いは動いているつもりでも足踏みしているだけになる。
それが怖いのは、怖い理由がわからないという得体の知れなさなのだろう。

人によっては、「怖い理由がわからない」ということすら言い出せない稚拙な者もいる。

だから「救いを求めるのにも言語化は必要」って言って〆ようとしたのだけど
そういう人のために宗教があって、新興宗教はなくならないんだなとなったので終わり。

私は思っている以上にまだまだ、世の中は何も考えず生きている人間ばかりらしい。
自分の説明もできない自分なんか消えてしまえ

蝙蝠橋を夜のパトロール

少しオブラートにした記事を投稿する場所としてnoteを使っていたが、
調べたところシャドウバンされていることがわかった。

どうもまだ尖っているらしい、お呼びでないらしいので、noteでの投稿はやめにすることにする。


僕が助けたい人は勝手に離れていく
僕を助けてくれた人に恩返しはしたいが、その前に離れていく
どうすればいいとずっと悩んでいたが
他人を助けるのに見返りを求める時点で本気ではないのならば
私もそれにあやかって、好きにすれば良いと最近気づいた


無事オンラインゲームのコミュニティから離脱はできた。
今後どうするのかと聞かれたが、先の事はわからないし、
たかがゲームに「引退」なんて言葉を使うのは可笑しいと思っているので
ぼかしておいた。下手に騒がせないところが私なりの優しさである。
ただアンインストールして2度と起動しなくなるだけ。

人間関係で救われた試しが少ないのと、これから新しく深いコミュニティを増やす必要性を感じない。
僕が求めるものを返してくれない相手に心血を注ぐ必要はない。
縁が切れたことを後悔するくらいに大きくなる必要がある。
邪魔をしないで欲しい。

ワードプロセッサー

りくりゅう叩きしている女の心理を当事者が解説します

正しいかどうかは別問題として、よくここまで言語化できるまで持ち直したんだなってのが感想。
文章の端々から吐血の努力が垣間見える。

自分に直接関係ない人間の行動でいちいち発狂してたら世話ないからね。

いや別に君がどう思うかは勝手にだけど、
第三者から発狂してるって思われたら、難易度上がって面倒になるだけなので

どれだけ強い怒りが根付いていようが
傍観者にマイナスの感情を抱かせないように立ち回る
怒りというのは
行動の原因がであるのは構わないが
暴走の原因であってはならない。

利己的というのはそういうものだ
自分に都合が良いというのは、自分の利益が最大化するようにという意味で
ポップというのはそういうものだ
自分が楽しければ良いということに、自分以外がどうなっていても自分には一切関係ないということ

自由解放運動

倫理観が効率化の邪魔をする。

・(酷暑時にクーラーを付けない等)自己責任を徹底し、非合理な行動を取る高齢層は見捨てる
・資産のない層への公的扶助を全カットし、完全な生存競争に晒す
どちらも社会保険料の削減になる。
社会発展に不要なものは少ない方がいい。
自己防衛に金を用意できないなら自業自得になる。
そんなに親が大事なら子が金を積めばいい。

こんなルールを設ければ良いんじゃないかとAIに聞いてみたけど、
・生き残るために金を貯めるようになって消費行動をしなくなって経済が停滞する
・そもそも熱中症は即死しないから、ICUがパンクして逆に医療費が嵩む
ということになり望んだ効果は見込めないらしい 納得。

社会の存続に必要なのは、粛清のための銃や毒ではなく
ゆっくりと死んでいくのを気づかせないための麻酔という話。

この物語はフィクションであり

最近、定期的に氷河期世代の不運を嘆く恨み言がまとめられている。
事実かもしれないが、今更喚いてお金がもらえるのか?救われるのか?

私は所謂リーマンショック世代なので就職は相応に苦戦した。
新卒カードを失わないように就職留年もしたし、その分の学費はアルバイトで自己負担しながら就職活動をしていた。

特に泣き言や恨みを云うつもりはない
生まれた時代の運が悪かっただけといえばそれまでだろう
でも、実際に社会から消えたり消されたりした人がいるのも事実
私は生き残った者として、私が気に入らない全部を憎むし、赦した人以外は誰も助けないことを選んだ。
なるべく長生きして色々なものから嫌われてやろうと思っている。

死にたがりの昔を思い返すと、こういう「ポップな復讐心」が生存本能に連動するのは良いことだと思う。

恨み言を言えば助けてもらえるなら、子供の頃にとっくに助かっている。

報われるかもわからないが努力をするしかない。
どの時代に生まれても内容は違えど厳しいことは多少にある。
だから、経験していない者にとやかく言われる筋合もない。

「俺らの時代は」という枕詞は見当違いで滑稽だ、私は今の話をしている。

どの時代もそれぞれ辛いことはあるよ。
だから全部自己責任になればいい。

I STILL KNOW

​誰しも自分の理解から外れたり、予測を超えた瞬間に、掌を返して異常者扱いをする。
人は自分が理解できないものに対して恐怖を覚えるように作られている。怖いから近づきたくないのだろう。
人に支配されたくないだけであれば、その人の予想を超える動きをするのが一番手っ取り早い。

​今になって思えば、私も元を辿ると、椎名林檎に心酔していた、程度の低いメンヘラと付き合ったのがきっかけだろう。
当時中学生だった私は、自分で言うのもなんだが、それはそれは純粋な少年でした。

​それが今ではどうだ。
ただのきっかけに過ぎなかった色恋沙汰の1つに、
幼少期の経験や環境が化学反応を起こした結果、
揺らがない思想の1つになって、
かつて好いた全てを壊そうとする。

(ちなみに彼女の現況は把握済で、シングルマザーになって貧困に苦しんでいるのを知っている。)

​相手からすると、私が狂人みたいに見えて仕方ないと思う
みんな「そんなつもりじゃなかった」って云う
でも私も「こんなつもりじゃなかった」と謂う
何度も言っているが私は平和に暮らしたいだけ。

結果、双方折れないから自己責任で殺し合いをしましょう
強いほうが勝つよ。なんて言って戦争開始。

​遊泳可能区域のような
子供用プールのような
浅い理解と思考で私を計ろうとした結果
遠心力が強すぎて自分がふっ飛ばされそうでーす、助けてくださいってか。
なかなか面白い。

​毛色は違うだけで、今でも純粋さだけはしっかり残っている。
何がきっかけになって、何で成長していくかはやってみないと分からないな。

​過去にも、「結末はどうあれ、関わった全ての人に感謝を」と書いていた。
今の自分の思想に自信を持っている。
これを形成した貴方達は、形はどうあれ僕の血肉になった。

核実験で失敗した結果産まれたゴジラのような、理知の暴を振り回せるような人になりたい。

バケモノ

自業自得が生んだ絶望を食い物にして、私は生きている。

選べる立場に生まれ落ちながら、何も知らずに選択を誤り、「私は悪くない」と叫び散らす行き場のない憎悪の顔。
環境のせいにし、他人のせいにし、必死に自己を肯定しようと焦る滑稽な顔。
最後にすべてを悟り、泣きながら命乞いをする瞬間の顔。

​どれも極上のご馳走だ。
その絶望の引き金を引いた一端が自分にあるのなら、なおのこと美味い。

​自己研鑽を惜しまなくなった理由は単純だ。
相手がこちらを見上げた時、その落差が大きいほど絶望の深度は増し、美味しさが青天井で跳ね上がるからに他ならない。

​絶望は更生の契機であり、そこには最早、純粋な親切心すら存在する。
底を打った人間が、泥水を啜って這い上がってくる姿もまた、息を呑むほどに美しいからだ。

お腹すいたなぁ。

​ねぇ、もし良ければ。
君の絶望を聴かせてくれないか。

誰かを憎む理由をこの身体に誇示して

全てを切り裂く免罪符となれ

いつか子供かいないことを寂しさを覚えて哀しむことがあるのかと考えることがある。
現時点ではそんなイメージは微塵もないのだが。
子孫を自己都合で造って、産んで、それに自分の世話を全部任せるほど私は冷たかったり無責任でありたくはない。

自分の面倒は死ぬまで自分自身で看たい。
子供が必ず自分の面倒を見てくれるという前提が愚かな発想か。
自分にそのつもりがないから。

願わくば、世の中の技術がこのまま発展して、
万が一寂しさを感じても仮想現実でそれを解消できるようになるのを期待している。
きっとそれが実現できるくらいの時代には、それで誤魔化されるほどに老いているだろう。


両親の知能から考えても、遺伝的には私は突然変異の類で。
でも突然変異でこの程度の知能だから底が知れている。
変異種が環境適応できずに淘汰されていくように、おそらく適応して生き残れないと思う。私はその辺りは運良くしぶとかったから生きているだけ。


自分より愚かな自分は要らない。
私にとっての子供とは、結局益のない賭けでしかないのだと思う。