恐怖を認めて進む

最近気づいたのだが、私が永く昔から此処に思考を落としているのは
この「えも言われぬ感情をなんとか表現したい」という
いわゆる「言語化」のためではないかと思った。

恐怖を持つことが悪いことではない。理由を言語化することができれば、如何様にもできる。
そのまま恐怖として扱って、嫌なことから逃げる手段にもなれば、振り回して正当防衛の手段にもなる。
そうなるとそれは恐怖ではなく、畏怖や敬意とまで言える。

本当に恐ろしいのはその理由を理解していない、言語化できない恐怖だ。
一度持ってしまうと意思に反して無限に肥大していく。
それに囚われて動けなくなる。或いは動いているつもりでも足踏みしているだけになる。
それが怖いのは、怖い理由がわからないという得体の知れなさなのだろう。

人によっては、「怖い理由がわからない」ということすら言い出せない稚拙な者もいる。

だから「救いを求めるのにも言語化は必要」って言って〆ようとしたのだけど
そういう人のために宗教があって、新興宗教はなくならないんだなとなったので終わり。

私は思っている以上にまだまだ、世の中は何も考えず生きている人間ばかりらしい。
自分の説明もできない自分なんか消えてしまえ

ワードプロセッサー

りくりゅう叩きしている女の心理を当事者が解説します

正しいかどうかは別問題として、よくここまで言語化できるまで持ち直したんだなってのが感想。
文章の端々から吐血の努力が垣間見える。

自分に直接関係ない人間の行動でいちいち発狂してたら世話ないからね。

いや別に君がどう思うかは勝手にだけど、
第三者から発狂してるって思われたら、難易度上がって面倒になるだけなので

どれだけ強い怒りが根付いていようが
傍観者にマイナスの感情を抱かせないように立ち回る
怒りというのは
行動の原因がであるのは構わないが
暴走の原因であってはならない。

利己的というのはそういうものだ
自分に都合が良いというのは、自分の利益が最大化するようにという意味で
ポップというのはそういうものだ
自分が楽しければ良いということに、自分以外がどうなっていても自分には一切関係ないということ

この物語はフィクションであり

最近、定期的に氷河期世代の不運を嘆く恨み言がまとめられている。
事実かもしれないが、今更喚いてお金がもらえるのか?救われるのか?

私は所謂リーマンショック世代なので就職は相応に苦戦した。
新卒カードを失わないように就職留年もしたし、その分の学費はアルバイトで自己負担しながら就職活動をしていた。

特に泣き言や恨みを云うつもりはない
生まれた時代の運が悪かっただけといえばそれまでだろう
でも、実際に社会から消えたり消されたりした人がいるのも事実
私は生き残った者として、私が気に入らない全部を憎むし、赦した人以外は誰も助けないことを選んだ。
なるべく長生きして色々なものから嫌われてやろうと思っている。

死にたがりの昔を思い返すと、こういう「ポップな復讐心」が生存本能に連動するのは良いことだと思う。

恨み言を言えば助けてもらえるなら、子供の頃にとっくに助かっている。

報われるかもわからないが努力をするしかない。
どの時代に生まれても内容は違えど厳しいことは多少にある。
だから、経験していない者にとやかく言われる筋合もない。

「俺らの時代は」という枕詞は見当違いで滑稽だ、私は今の話をしている。

どの時代もそれぞれ辛いことはあるよ。
だから全部自己責任になればいい。

オゾンのダンス

最近はポップに生きるようにしている。
ポップをどう言語化するといいのか考えたところ、さしずめ「軽妙な喜劇」辺りが妥当だと思った。


大学時代は演劇サークルに所属していた。
別に強い興味があったわけではないし、終わってから思い返すと演劇自体に費やした時間は無駄だったと思っている。

一方、其処で出会った大部分の友人達には感謝している。この出会いがあっただけで上述の無駄を全て覆すほどの価値を感じている。
同時に、今になって思うのは、台本や舞台、裏方(バックステージ)という考え方や世界に触れられたのは、本当にいい機会だったと感じている。


舞台上では、多少のイレギュラーがあれど、全てが予定調和の前提で進む。
千秋楽の舞台で多少のサプライズがあっても、観客に悟られずに進められるのは、明確な着地点が見えているからだ。
観客に悟られたら終わりだ。魅入らせている間は操作しやすい。
言い換えれば、「何か起こっても想定した着地点に持っていく」という覚悟ができているかどうか ということになる。

でも人生はそううまくいくわけがない。と考える人が多い。
事実、かつての私もそうだった。
でも、うまくいくとは何のことなのか。
例えば、「悲劇を見せたいのに幸運に見舞われて観客が笑う」というのは、自分は幸運なのにうまくいかなかったということになるのか。
という禅問答が始まらないように結論を言っておくと、「判断は自分に都合が良いかどうかだけ」だ。

じゃあ
自己都合で成否判定ができるなら、自己催眠することで常に成功扱いにしてしまうと楽だよね。
想定した着地点に無理矢理持っていく、デウス・エクス・マキナを設定するようなイメージが近いか。

結果として私は、
『自身は舞台に立っていて、起こることは全部台本通りだから、自分が喜劇と判断していればそれでいいから、笑ってればいい』
ということで落ち着いた。これが冒頭で話した『ポップ』ということになる。

何より、傍目から見て異常者と見做されるのは意外と利益しかない。
例えば、悲劇の被害者になった人がいて、でもその人が底抜けに明るいと、「無理をしているのではないか」と見え、結果として同情を集めたり、原因となる敵を憎むという攻撃心を育成するきっかけになったりする。
そして、逆に悲劇の原因の一端となった人間に対しては、罪悪感・困惑・恐怖等の意識を一気に与えられる。
ポップに振る舞うだけで勝手に自滅(同情と群衆心理があるかもしれないが)していくのを同時に見ていられる。いいことずくめだ。

要するに最悪の状態を常に織り込んで、笑顔を絶やさずやり過ごす覚悟を持つ といったところか。

もちろん、手放しでこんなことができるわけではない。
白鳥が水面でバタ足しているのと似たように、美しい舞台の裏側は到底見せられないほど泥臭いように。相応の準備や苦労がそこには隠れている。
でも見せなければ存在しないのと同じ。隠し通すという覚悟が必要になる。

悲しい事があった時に悲しい素振りをするなんてルールはない。
観ている人が笑っているなら、演じている方はもっと面白いはず。

お金を集めろ

それしかもう言われなくなった

転職前に、自分が抱えていた漠然的な劣等感の根底にあるものと、それを解消する方法について考えた。
いつも通り、あれこれ言い訳して理由付けをしていくのだけど、それらは所謂屁理屈でしかないので、根本からの解決ではないため、逃れられるはずもなく。

結局、辿り着く結論は非情で残酷なものになる。
至極簡単で、「金があれば解消する」
正しくは、「この劣等感を覆す可能性になり得るのが、金以外にない」ということ。

原因はやっぱり育ちの悪さに尽きて、
私は片親+貧乏育ちで、妻は私以上の劣悪な環境で育っている。
親は無理をして色々旅行に連れて行ったりしていたが、私からすれば、そんなことよりも、今この瞬間に金に余裕があるのかないのかを知りたかった。

金が無いときに親の機嫌が悪くなるのが本当に嫌だった。
片親環境では、長男/長女がその苛立ちを全て一人で受けがちで、私もその例に漏れなかった。
常に「金がないのではないかという恐怖」に支配されていた。

高校・大学も奨学金とバイトで補填した。リーマンと重なって就職留年した学費も当然自己負担だ。
所謂苦学生の側ではあるだろう。今年ようやく全てを返し終わった。


金が持ってくるのは安寧や名声ではなく、それらに触れられるかもしれないという選択肢だ。

逆に、「金が無い」という事実だけで、その選択肢は限られていき、最悪の場合は努力をする気力すら奪われる。
そこには「どうせ報われない」という諦観が付きまとうからだ。
とはいえ、逆に金だけあっても問題は解決するわけではない。金は便利なツールではあるが、どこまで行ってもツールの域を出ないのだ。

それでも、金欠というのは人生カードゲームにおける禁止級の手札破壊カードだろう。
私から見れば、「人格形成期に金に困った経験がない」という事実だけで相当人生が有利だったのではないかと思う。
言ってしまうならば、贅沢な苦悩だなとまで思う。

でも別に生まれの差を恨むとかはない、強いていうなら生まれたこと自体を恨むくらいか。
生まれた以上はどれだけ苦しくても生きるしかない。
そして、配られたカードで勝負するしかないのは知っている。
でも、捨て札を使ってはいけないというルールもない。
強いと思ったコンボは再利用できるのなら、するに越したことはない。

そうやってなんとか生き延びた今、漸く反撃のタイミングが来たらしい。幸運にも金以外の欲しいものは既に揃っていた。
だから、残った過去のトラウマを消すためにお金を集めるのだ。

俗っぽいって嗤う?効率厨は得てして世俗の塊なんだよ。

雨足 駆け巡って

ベランダでつけたタバコは雨に当たって折れてしまった
当然、吸おうとしても煙は口に来なかった

無理するな って言われてるみたいだったので
そのまま部屋に戻ることにした

消臭剤が切れていた
炭の香りを明日買いに行こうと思う

落ち込むことを絶対悪と思わないで
そんな日もあると
受け入れる方法もあるから
今更にわかって
とてもうれしい 雨の日のこと

雨足がさっきより強く聞こえて
部屋を支配する音に紛れようとしてるみたいで
かわいらしいと思う

水中キャンプ

両腕が真っ赤に染まっていく

見ていられなくなって

水の中に飛び込んだ

ふん ふん と

鼻歌を歌いながら

さっきまでの赤が

ゆっくりと落ちていく

呼吸ができるようだ

音もちゃんと聞こえる

水の中じゃないみたい

笑いながら首を傾げた

あれ、戻せない

赤色はなくなっていく

腕以外何も見えない

水音もしない

あるのは自分の腕と声だけ

怖い

せめて赤く染まれ 染まれ 染まれ

方程式

こんなもの解けなくったって、将来何も困ることないじゃない
どうして勉強するの?何の役に立つの?これだったら私はもっと
他の事をやるわ。その方が絶対に役に立つもの、そう思わない?

そういって鉛筆を投げ出し
彼女は携帯を開いた

・・・昔

何?

・・・・いや、なんでもない

話しなさいよ

・・・・・人から理解を取り除いたら、何が残ると思う?

さぁ・・・身体?

それは除きすぎかな

じゃあ…何?

欲望・・・本能だよ
理解ってのは「理性を持って解る」ことなんだ
つまり理解しようとする意思はとても重要なんだよ
こんな陳腐な方程式でもそうだし、勿論人の意見でもね
勉強は理解の練習に過ぎない、そう思っていると楽なんじゃないか、少しは

・・・・

さて、じゃあもう一つ質問だけど

君はそれでも猿になりたいのかい?

彼女は鉛筆を握り直していた。

昔、僕が祖母にこれを言われたということは彼女に隠したまま
僕は授業を続けることにした。

依存観念

所属に執着してないと気づく

這い蹲りながらも 成長はしているようだ

離れ時 少し 落ち着け

やるべきことが 増えてきた

見えてきた

さぁ そろそろ行こうか