生まれた場所は選べずとも

生きる場所は選ばせてくれ

生存者バイアスだよって言われるけど、何が悪い。変化に適応して生き残ったものが正義だ、人類はそうやって繁栄してきた。

せめて、志半ばで生き残れなかった好きな人達に花を手向けながら、私は生き残って世界を恨み、蔑み続ける。

形は違えど、どの時代も辛いことはある。多分それが少し多めの時代を生きてきた。だから、「自分未満の全てを甘え」と言ってやる。

今の子が、「環境の被害者だ」とか言われるが、いつの時代も同じで、それが聞こえやすい世の中になっただけ。

異端を叫ぶ愚か者の声はいつも大きく聞こえる。

まぁ親が馬鹿な独裁者だったりするとしんどいのはわかるけどね。

いずれにせよ騒々しい甘ちゃんだ、あんたは何重苦を背負ってきたんだい?

僕は生き残れたから反撃の時間、好きに生きるよ。運が良かっただけって嘲笑うのかもしれないけど、運の良さを掴めるかどうかは努力次第って言うし。そもそも本当に運が良かっただけなら、こんな苦労はしていないだろう。

死にたがりの昔を思い出す。

解ったのは、好きなように愉しく生き続けることが、嘗て憎んだ全てへの復讐なのだと。

よもやこんな人間が長生きできるなんて思わなかったでしょう?

ざまぁみろ

俺は生き残ったぞ

憎まれっ子なので

世に憚ってやるつもり

就業証明書

学生の頃、予定を埋めていつも忙しそうにしている友人がいた。遊ぶ予定を立てようとすると最短でも1ヶ月後になるくらいには、彼の予定は埋まっていた。
ある時、興味本位から「何故そんなに予定が埋まっているのか」を聞くと、本当に些細な予定が毎日細切れになって入っていただけだった。
それが本当だったのか、問い詰めてくる私を面倒に感じて言った出まかせなのかはわからないが、『非効率だな』とだけ思った。

実際、彼の挙げた1週間の予定は私なら1日あれば全部解決できるような内容であった。
1時間も掛からないような予定を単発で入れて1日を埋める。予定のない日ができると死が訪れるようなデスゲームをしているようにも見えた。


私はこれまでの人生における不運から目を背けるために、オンラインゲームを趣味にしていた。
実際、あと10年ほど生きても未だに、「人生の半分はオンラインゲームをしている」と言えるくらいには。
ずっとこういう日々が続くのだろうとぼんやり考えていたのだが、転職による環境変化によりこの見立てが崩れつつある。自分の市場価値を知ったのがきっかけだ。
転職時に提示された年収を見て、どうやら私はリーマンショックの影響で安く買い叩かれた側の人間だったとようやく自覚できた。

所謂拝金主義の人間に市場価値がついて回ると行動原理は非常に単純になる。公私問わず、コミュニティが自身にとって財産につながるか否かだけである。
結果、オンラインゲームのコミュニティについては年内に折り合いを付けてフェードアウトする。全クリした(飽きた)のと、シンプルに時間がないからだ。

正直に言うと、こんな底辺が集まって傷の舐め合いだけをしているコミュニティに投下する時間はない。 勿体ないという、自身の価値を認知したからだ。


細切れの予定で日々を埋めるのも、廃人間際まで1つのゲームで日々を埋めるのも、「暇や人生からの逃避」が目的という点では同類だった。
あの日、予定のない日を恐れる友人を内心で嘲った私は、自分の立っている泥沼すら見えていない裸の王様だったと思う。

過去の滑稽な自分を十分に嗤い、省みたうえで、次へ進もうと思う。

ぼくら対せかい

2012年に結婚して、今年で14年が経つ。

相手はこのブログを初期からずっと読んでくれていた人。そして出会うまで私に何のアクションもしてこなかっ人。

有り体に言うならば、ネットストーカーと結婚したことになる。

但し、ものは言いようで彼女からは「推しと結婚できた」ようなものらしい。
私のどこに推せる要素があるのかは未だにわからないままだが、主観と客観の違いということにしておく。


子供については2人とも「不要」という結論に早々に至ったのもよかった。双方の親がノンデリだったので、(傷つけずに)躱し続けるのが面倒だったが、最近漸く諦めたようで何も言わなくなった。

実際これ以上言ってくるなら絶縁する予定だったので、命拾いしたと思う。
※これについてはまた別の機会に詳しく綴ることにする。

一方で、子供を造るということ自体は、我々にはできなかった選択でもあるので、子供がたくさんいる人は尊敬に値するな という気持ちもある。そういう人には親切にしようと思う。

実際、当時から子供を持つことに対しての恐怖心はあった。
おそらく、我が子に対して「無条件で可愛い」と思う とか そういう要素は自分は感じることができなくて、何かの要素で自分を超えて社会的に成功しないと平然と勘当しようとするのだと思う。

「産まなきゃよかった」対「産んでくれなんて頼んでいない」

生まれる方は生まれることを望んでいないから。そんなエゴに巻き込みたくないという気持ちが先行する。
思考を放棄したまま「親」という役割を引き受けるには、私はあまりに世界の構造と、自身の割り切れなさを知りすぎてしまった。

​適合しない要素は、最初からシステムに組み込まない。

お金を集めろ

それしかもう言われなくなった

転職前に、自分が抱えていた漠然的な劣等感の根底にあるものと、それを解消する方法について考えた。
いつも通り、あれこれ言い訳して理由付けをしていくのだけど、それらは所謂屁理屈でしかないので、根本からの解決ではないため、逃れられるはずもなく。

結局、辿り着く結論は非情で残酷なものになる。
至極簡単で、「金があれば解消する」
正しくは、「この劣等感を覆す可能性になり得るのが、金以外にない」ということ。

原因はやっぱり育ちの悪さに尽きて、
私は片親+貧乏育ちで、妻は私以上の劣悪な環境で育っている。
親は無理をして色々旅行に連れて行ったりしていたが、私からすれば、そんなことよりも、今この瞬間に金に余裕があるのかないのかを知りたかった。

金が無いときに親の機嫌が悪くなるのが本当に嫌だった。
片親環境では、長男/長女がその苛立ちを全て一人で受けがちで、私もその例に漏れなかった。
常に「金がないのではないかという恐怖」に支配されていた。

高校・大学も奨学金とバイトで補填した。リーマンと重なって就職留年した学費も当然自己負担だ。
所謂苦学生の側ではあるだろう。今年ようやく全てを返し終わった。


金が持ってくるのは安寧や名声ではなく、それらに触れられるかもしれないという選択肢だ。

逆に、「金が無い」という事実だけで、その選択肢は限られていき、最悪の場合は努力をする気力すら奪われる。
そこには「どうせ報われない」という諦観が付きまとうからだ。
とはいえ、逆に金だけあっても問題は解決するわけではない。金は便利なツールではあるが、どこまで行ってもツールの域を出ないのだ。

それでも、金欠というのは人生カードゲームにおける禁止級の手札破壊カードだろう。
私から見れば、「人格形成期に金に困った経験がない」という事実だけで相当人生が有利だったのではないかと思う。
言ってしまうならば、贅沢な苦悩だなとまで思う。

でも別に生まれの差を恨むとかはない、強いていうなら生まれたこと自体を恨むくらいか。
生まれた以上はどれだけ苦しくても生きるしかない。
そして、配られたカードで勝負するしかないのは知っている。
でも、捨て札を使ってはいけないというルールもない。
強いと思ったコンボは再利用できるのなら、するに越したことはない。

そうやってなんとか生き延びた今、漸く反撃のタイミングが来たらしい。幸運にも金以外の欲しいものは既に揃っていた。
だから、残った過去のトラウマを消すためにお金を集めるのだ。

俗っぽいって嗤う?効率厨は得てして世俗の塊なんだよ。

僕の過去の轍を見る人よ

此処で逢うのは偶然じゃないさ

お久しぶりです。
随分長い時間が経って、誰が見ているかもわかりませんが。
環境と考えが落ち着いて、当時の僕が憧れた自分になれたので、もう一度「Leben」として好きに書いてみようと思います。

本格的に記事を書いていた頃から考えると、15年程経っているんですね。
当時の散文的な書き方はしないし、できないと思います。今見ると自分でも何の話かわからなくて苦笑してしまう。
もう良い年なので、好きに書くし、容赦なく書くつもり。

昔の記事もこうやってみると生き様を現す遺産なので、残しておいて。今後はいつもどおり、自分のメモとして。

結局、世界は嫌いなままで、でもそれで良いということがわかった。