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りくりゅう叩きしている女の心理を当事者が解説します

正しいかどうかは別問題として、よくここまで言語化できるまで持ち直したんだなってのが感想。
文章の端々から吐血の努力が垣間見える。

自分に直接関係ない人間の行動でいちいち発狂してたら世話ないからね。

いや別に君がどう思うかは勝手にだけど、
第三者から発狂してるって思われたら、難易度上がって面倒になるだけなので

どれだけ強い怒りが根付いていようが
傍観者にマイナスの感情を抱かせないように立ち回る
怒りというのは
行動の原因がであるのは構わないが
暴走の原因であってはならない。

利己的というのはそういうものだ
自分に都合が良いというのは、自分の利益が最大化するようにという意味で
ポップというのはそういうものだ
自分が楽しければ良いということに、自分以外がどうなっていても自分には一切関係ないということ

自由解放運動

倫理観が効率化の邪魔をする。

・(酷暑時にクーラーを付けない等)自己責任を徹底し、非合理な行動を取る高齢層は見捨てる
・資産のない層への公的扶助を全カットし、完全な生存競争に晒す
どちらも社会保険料の削減になる。
社会発展に不要なものは少ない方がいい。
自己防衛に金を用意できないなら自業自得になる。
そんなに親が大事なら子が金を積めばいい。

こんなルールを設ければ良いんじゃないかとAIに聞いてみたけど、
・生き残るために金を貯めるようになって消費行動をしなくなって経済が停滞する
・そもそも熱中症は即死しないから、ICUがパンクして逆に医療費が嵩む
ということになり望んだ効果は見込めないらしい 納得。

社会の存続に必要なのは、粛清のための銃や毒ではなく
ゆっくりと死んでいくのを気づかせないための麻酔という話。

この物語はフィクションであり

最近、定期的に氷河期世代の不運を嘆く恨み言がまとめられている。
事実かもしれないが、今更喚いてお金がもらえるのか?救われるのか?

私は所謂リーマンショック世代なので就職は相応に苦戦した。
新卒カードを失わないように就職留年もしたし、その分の学費はアルバイトで自己負担しながら就職活動をしていた。

特に泣き言や恨みを云うつもりはない
生まれた時代の運が悪かっただけといえばそれまでだろう
でも、実際に社会から消えたり消されたりした人がいるのも事実
私は生き残った者として、私が気に入らない全部を憎むし、赦した人以外は誰も助けないことを選んだ。
なるべく長生きして色々なものから嫌われてやろうと思っている。

死にたがりの昔を思い返すと、こういう「ポップな復讐心」が生存本能に連動するのは良いことだと思う。

恨み言を言えば助けてもらえるなら、子供の頃にとっくに助かっている。

報われるかもわからないが努力をするしかない。
どの時代に生まれても内容は違えど厳しいことは多少にある。
だから、経験していない者にとやかく言われる筋合もない。

「俺らの時代は」という枕詞は見当違いで滑稽だ、私は今の話をしている。

どの時代もそれぞれ辛いことはあるよ。
だから全部自己責任になればいい。

I STILL KNOW

​誰しも自分の理解から外れたり、予測を超えた瞬間に、掌を返して異常者扱いをする。
人は自分が理解できないものに対して恐怖を覚えるように作られている。怖いから近づきたくないのだろう。
人に支配されたくないだけであれば、その人の予想を超える動きをするのが一番手っ取り早い。

​今になって思えば、私も元を辿ると、椎名林檎に心酔していた、程度の低いメンヘラと付き合ったのがきっかけだろう。
当時中学生だった私は、自分で言うのもなんだが、それはそれは純粋な少年でした。

​それが今ではどうだ。
ただのきっかけに過ぎなかった色恋沙汰の1つに、
幼少期の経験や環境が化学反応を起こした結果、
揺らがない思想の1つになって、
かつて好いた全てを壊そうとする。

(ちなみに彼女の現況は把握済で、シングルマザーになって貧困に苦しんでいるのを知っている。)

​相手からすると、私が狂人みたいに見えて仕方ないと思う
みんな「そんなつもりじゃなかった」って云う
でも私も「こんなつもりじゃなかった」と謂う
何度も言っているが私は平和に暮らしたいだけ。

結果、双方折れないから自己責任で殺し合いをしましょう
強いほうが勝つよ。なんて言って戦争開始。

​遊泳可能区域のような
子供用プールのような
浅い理解と思考で私を計ろうとした結果
遠心力が強すぎて自分がふっ飛ばされそうでーす、助けてくださいってか。
なかなか面白い。

​毛色は違うだけで、今でも純粋さだけはしっかり残っている。
何がきっかけになって、何で成長していくかはやってみないと分からないな。

​過去にも、「結末はどうあれ、関わった全ての人に感謝を」と書いていた。
今の自分の思想に自信を持っている。
これを形成した貴方達は、形はどうあれ僕の血肉になった。

核実験で失敗した結果産まれたゴジラのような、理知の暴を振り回せるような人になりたい。

バケモノ

自業自得が生んだ絶望を食い物にして、私は生きている。

選べる立場に生まれ落ちながら、何も知らずに選択を誤り、「私は悪くない」と叫び散らす行き場のない憎悪の顔。
環境のせいにし、他人のせいにし、必死に自己を肯定しようと焦る滑稽な顔。
最後にすべてを悟り、泣きながら命乞いをする瞬間の顔。

​どれも極上のご馳走だ。
その絶望の引き金を引いた一端が自分にあるのなら、なおのこと美味い。

​自己研鑽を惜しまなくなった理由は単純だ。
相手がこちらを見上げた時、その落差が大きいほど絶望の深度は増し、美味しさが青天井で跳ね上がるからに他ならない。

​絶望は更生の契機であり、そこには最早、純粋な親切心すら存在する。
底を打った人間が、泥水を啜って這い上がってくる姿もまた、息を呑むほどに美しいからだ。

お腹すいたなぁ。

​ねぇ、もし良ければ。
君の絶望を聴かせてくれないか。

誰かを憎む理由をこの身体に誇示して

全てを切り裂く免罪符となれ

いつか子供かいないことを寂しさを覚えて哀しむことがあるのかと考えることがある。
現時点ではそんなイメージは微塵もないのだが。
子孫を自己都合で造って、産んで、それに自分の世話を全部任せるほど私は冷たかったり無責任でありたくはない。

自分の面倒は死ぬまで自分自身で看たい。
子供が必ず自分の面倒を見てくれるという前提が愚かな発想か。
自分にそのつもりがないから。

願わくば、世の中の技術がこのまま発展して、
万が一寂しさを感じても仮想現実でそれを解消できるようになるのを期待している。
きっとそれが実現できるくらいの時代には、それで誤魔化されるほどに老いているだろう。


両親の知能から考えても、遺伝的には私は突然変異の類で。
でも突然変異でこの程度の知能だから底が知れている。
変異種が環境適応できずに淘汰されていくように、おそらく適応して生き残れないと思う。私はその辺りは運良くしぶとかったから生きているだけ。


自分より愚かな自分は要らない。
私にとっての子供とは、結局益のない賭けでしかないのだと思う。

オゾンのダンス

最近はポップに生きるようにしている。
ポップをどう言語化するといいのか考えたところ、さしずめ「軽妙な喜劇」辺りが妥当だと思った。


大学時代は演劇サークルに所属していた。
別に強い興味があったわけではないし、終わってから思い返すと演劇自体に費やした時間は無駄だったと思っている。

一方、其処で出会った大部分の友人達には感謝している。この出会いがあっただけで上述の無駄を全て覆すほどの価値を感じている。
同時に、今になって思うのは、台本や舞台、裏方(バックステージ)という考え方や世界に触れられたのは、本当にいい機会だったと感じている。


舞台上では、多少のイレギュラーがあれど、全てが予定調和の前提で進む。
千秋楽の舞台で多少のサプライズがあっても、観客に悟られずに進められるのは、明確な着地点が見えているからだ。
観客に悟られたら終わりだ。魅入らせている間は操作しやすい。
言い換えれば、「何か起こっても想定した着地点に持っていく」という覚悟ができているかどうか ということになる。

でも人生はそううまくいくわけがない。と考える人が多い。
事実、かつての私もそうだった。
でも、うまくいくとは何のことなのか。
例えば、「悲劇を見せたいのに幸運に見舞われて観客が笑う」というのは、自分は幸運なのにうまくいかなかったということになるのか。
という禅問答が始まらないように結論を言っておくと、「判断は自分に都合が良いかどうかだけ」だ。

じゃあ
自己都合で成否判定ができるなら、自己催眠することで常に成功扱いにしてしまうと楽だよね。
想定した着地点に無理矢理持っていく、デウス・エクス・マキナを設定するようなイメージが近いか。

結果として私は、
『自身は舞台に立っていて、起こることは全部台本通りだから、自分が喜劇と判断していればそれでいいから、笑ってればいい』
ということで落ち着いた。これが冒頭で話した『ポップ』ということになる。

何より、傍目から見て異常者と見做されるのは意外と利益しかない。
例えば、悲劇の被害者になった人がいて、でもその人が底抜けに明るいと、「無理をしているのではないか」と見え、結果として同情を集めたり、原因となる敵を憎むという攻撃心を育成するきっかけになったりする。
そして、逆に悲劇の原因の一端となった人間に対しては、罪悪感・困惑・恐怖等の意識を一気に与えられる。
ポップに振る舞うだけで勝手に自滅(同情と群衆心理があるかもしれないが)していくのを同時に見ていられる。いいことずくめだ。

要するに最悪の状態を常に織り込んで、笑顔を絶やさずやり過ごす覚悟を持つ といったところか。

もちろん、手放しでこんなことができるわけではない。
白鳥が水面でバタ足しているのと似たように、美しい舞台の裏側は到底見せられないほど泥臭いように。相応の準備や苦労がそこには隠れている。
でも見せなければ存在しないのと同じ。隠し通すという覚悟が必要になる。

悲しい事があった時に悲しい素振りをするなんてルールはない。
観ている人が笑っているなら、演じている方はもっと面白いはず。

自分欺き嘘吐くのはどんな気分だい

基本は一定の基準を設けて機械的に処理するのが手早くて効率的
あれこれ考えて対応するのは自分が勿体ない。疲れるし
人間性については、思い通りに行くのが嬉しいって感覚で事足りる。
もしそれで足りないのであれば、基準に対する例外設定を適用することで担保すればいい。

人間関係は狭くて深いに越したことはない。
不快ではないに越したことはない。
邪魔なひとは自分の世界から消しちゃおう。

勉強は最も高尚で有益で安価で進歩性のある趣味になる。
何より向上心を免罪符にできる。
関わる人は選ぶけど、知識は貪欲に吸収する。
そうやって少しずつ己を肯定していく。

これが非情と言われるのか。
ならば、思ってもいないことを謂って
理解したつもりになって
躰だけ寄り添うのが温情なのか。
温情を求めるのも提供するのも嘘つきの証か。

嘘でもいいから慰めが欲しいのなら
人間レンタルサービスでも使えばいい

お前の欲しいものは渡せないから
時間が勿体ないから何もしないってだけ
皆が得するWin-Winだよ
私は優しいよね。

同情に責任を負えないなら無情
同情するくらいなら解決策を提示してくれ、金をくれ
なんて昔のドラマ