2012年に結婚して、今年で14年が経つ。
相手はこのブログを初期からずっと読んでくれていた人。そして出会うまで私に何のアクションもしてこなかっ人。
有り体に言うならば、ネットストーカーと結婚したことになる。
但し、ものは言いようで彼女からは「推しと結婚できた」ようなものらしい。
私のどこに推せる要素があるのかは未だにわからないままだが、主観と客観の違いということにしておく。
子供については2人とも「不要」という結論に早々に至ったのもよかった。双方の親がノンデリだったので、(傷つけずに)躱し続けるのが面倒だったが、最近漸く諦めたようで何も言わなくなった。
実際これ以上言ってくるなら絶縁する予定だったので、命拾いしたと思う。
※これについてはまた別の機会に詳しく綴ることにする。
一方で、子供を造るということ自体は、我々にはできなかった選択でもあるので、子供がたくさんいる人は尊敬に値するな という気持ちもある。そういう人には親切にしようと思う。
実際、当時から子供を持つことに対しての恐怖心はあった。
おそらく、我が子に対して「無条件で可愛い」と思う とか そういう要素は自分は感じることができなくて、何かの要素で自分を超えて社会的に成功しないと平然と勘当しようとするのだと思う。
「産まなきゃよかった」対「産んでくれなんて頼んでいない」
生まれる方は生まれることを望んでいないから。そんなエゴに巻き込みたくないという気持ちが先行する。
思考を放棄したまま「親」という役割を引き受けるには、私はあまりに世界の構造と、自身の割り切れなさを知りすぎてしまった。
適合しない要素は、最初からシステムに組み込まない。