話しても堂々巡りなんてことは判ってるのに
何かどうも、相手の意図がいまいちわからない感じで
僕を潰したいのか、考え方を単に聞きたいのか ね
とりあえず悩んでるみたいなので、聞いて話してをしてるのですが
現状を変える気があるのかどうか微妙に見える
まぁお互いに根本がまったく違うから
永久に噛み合わないんじゃないかとは思うのだけれど
とりあえず話をするのは嫌いではないので
まぁいいかと思いつつメモを置いておきます
行動の一つ一つに意味の有無を考えてから行動を起こすのは
僕としては非常に確実で単純な考えの一つだけど
意味の有無を考える時点で既に脳内で結論づいていて
その方向に持って行こうとするのは
それこそ意味がないんじゃないのかと思うので
思考は
目的地なんか見えなくて当然のものだと思っていて
真っ暗の中で手探りをして一つずつ確かめていく
そんな作業との戦いなんだろうと思うのです、暗中模索
そんな真っ暗闇の中に、目的地が見えたら
本能的にそっちに向かうだろうと
それはつまり、出口の光で道が導かれていて
同時に
個人的には思考の本質だと思っている部分の
「探す」という行為を
失っていることなんだろうと
それは思考とは言わない、目的地までの交通手段を考えるだけの作業
あてもなく、ゆくあてもない
そんなものなんじゃないのかなと思うのです
逆に真っ暗闇で怖がって動かなかったり
選択肢の多さに迷って延々とその場に立ち続けるのも
勿論何も生まれない
待ってれば何か助けや光はくるかもしれないけど
かもしれない、1回あったからと言ってそれにまた縋るのは
少なくとも僕は嫌だ。
要は思考は暗闇迷路げーむ
みたいなものじゃないのかと思います
ぎぶあっぷすればいつでもそこから出られる
所謂、「思考の放棄」
ただそれは
迷路の中の落し物を探すことを諦めたということで
どこかでそれが必要なときが必ずくると判っているのに
なんとかなると思って見捨てる
そんで後で困って壊れたり迷惑かけたり
僕は迷路が大好きです。
ずっと出れなくてもいいと思えるくらいで
出口見つけても他がどうなってるのかと気になって
歩き回る癖があります。
多分これは思考についても同じことで
結論は割とすぐ出るのですが
それに決め付けず、他の可能性を探る
他の出口を探す
迷路はいつでも出れるけど、敢えて出ないということ
思考依存、迷路依存に近いのでしょうと
終わらない思考迷路
終わらせたくない思考迷路
だから可能性、つまり分かれ道を
限定したくはない
全部行ってみたいじゃんと思うのですよ
先入観や偏見を持たないようにしてるのは
この辺りから来てるのかな と
そんな感じでとりあえず一区切り
また別のお話をば
もう3年迷路から抜け出せないわたし。
出口が見えかけたらそれは幻だったりするのです・・・
最近では入り口に戻ってしまおうかと「思考の放棄」に向かっていたところ。
だけど終わらせたくない気持ちがずっとずっと。
そうやって4年目です。
迷路依存か。
うーむ。
迷路依存といっても
迷路に入った以上出口に向かうのは
もはや命題的なものなので
逆らうつもりはないのですが。
とりあえず僕の方法を挙げておくと
まず、現在の行き止まり
要は悩みの地点に至るまでの自分の考えの流れを辿る。
で、その中で原因を探る。それは事実、人間、物体、経験等と人それぞれだと思いますが。
それを見つけたら、その原因に対しての感情を自分で分析して、自意識との照合を図る。
想像妄想で補完して、巨大化させている可能性があります。
僕の場合はこんな感じでした。
参考までに。
迷路は居心地が良いですからね
あの妙な閉塞感が安心感をくれます。
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