言葉がまた溢れ出す
恐らく
恋愛という観念で
一人の人間に愛情を注ぐことは
余程のことがない限り
できないのでしょう
そういう意味では
僕はどうかしているのかも
壊れてしまっているかもしれないけど
今はその必要性を全く感じない。
色々なものに観念や価値観を壊されたけど
それらは全て、必要だったと思えるし
壊れやすく作っていたからと言えば
そういうことになる
でもね
今回は、どうなのだろう。
それまでは必ずあった
拠り所というものが
僕の外部的な面に関してはない気がする
だからきっと
意外にしぶといよ、これ
一人でいることが強い訳ではない
僕は一人だけど
一人でいる訳ではないし
ただ
自らの決断が原因で招いた
困難や痛みに対して
如何なる理由があれど
いちいち座り込むのは弱々しいし
見苦しいと言っているだけ
不足の事態にまで柔軟に対応しろとは言わない
しかし然るべき咎や責任は受け止めて当然である。
何か
今更思うのは
biasd→偏った
というのは
僕の限定された範囲における博愛という
偏愛のことじゃないのかと
そんな言葉遊び