大雨が降り続いて

部屋の中に居続けることもあるさ

久しぶりの雨日で
桜もほとんど散ってしまい

結局今年もお花見はできなかったなぁ
別にお酒が呑みたい訳じゃなくて
ただ時間に縛られず
ゆっくり花を見てたいなって
文字通りのお花見
ついでに桜吹雪の中を歩ければって

昼の桜も好きなんだけど
信号機の黄色が点滅する時間に
黄色の光にちかちか照らされる桜が一番好きで
自転車で走った時に少しだけ見れたのが
凄く鮮明に残ってる
静かな夜に 飽きるまでそんな桜を見てたいなぁと
そんで木の下をゆっくり歩いてみたい

来年はできるだろうか
なぁ、その時だけは忙しくないといいな

って
雨の話だったね、ごめんよ

こもった雨音が
出窓を叩いて部屋に響くほど
いい気分になっていく
雨音はとても好きで
心が落ち着くのが判る

自然の雨音は音楽みたいなもので
人工の雨音によく触れていたせいか
違いが何となくわかって
無機的な感じのなさが伝わってくる
なんとなく だけどね

んーそう
夜になったら雨は上がって
塗れたアスファルトを眺めながら一服
この湿った感覚も たまらない
自転車でアスファルトをなぞったときの
あの何とも言いがたい
水を含んだような摩擦音が
とってもいい気分にさせてくれるって

そんなことを思いながら
久々の雨日は過ぎていきました
おやすみ
in the flight

play with words

言葉遊び なんですよ
たかが かもしれないけど
僕にとっては
されど なのです。

それで思考に繋いで
自分を追い詰めたり
自分を救ったり
まぁ
非常に自分勝手だなぁと
でも好きなことなんだろうから
止めないんだろうなと

失敗は嫌だねー
どうせなら 失勝 が良い
勝ち負けの問題じゃないだろという人もいるだろうけど
じゃあ何故失敗と言う言葉だけが存在するのがわからない
完全には不完全があって
ニセモノにはホンモノがあって
初めて意味を為すんだから
失敗があるなら失勝があっても良いじゃないかと思うのです

今日はこんな感じで
うん

言葉遊びなんだろって馬鹿にする人も
いるのだろうけどね
でもね
考えや思いを伝えるのに
言葉はどうしても必要だから
それで遊んで考えるのは
本当に意味がないと言える?

友人も将来も

道連れにして
さぁ行こう

全ての巡りは台本通り
受け入れていくのです
逆らおうとしてはいけない

例えどんなに辛いことがあっても

思ったより巧く廻る

そう別に
匠になることはない
巧がいいのだと
技巧を使う

排出意識

今のペースで行けば
今月は記事数200件超えなんですが

うん
最初の頃は
記事数が精神状態に比例してたけど
今は違う感じで

とりあえず煙草とか
とりあえず音楽とか
そんな感じで書いてる
呼吸に等しいは言い過ぎとしても
それに近い感覚
排出作業なのには変わりないのだろうけど

うん
個人的にとても満足した
いい気分のいい感じなんです

今日は眠い…
少し早いけど 眠ろうかな。

並行懐疑 chapter2

依存とかのお話

とりあえず貴方は
辞書の上での単一意義に縛られすぎてると思うのですよ。
反論に際して、その単一意義を自己の価値観と合わせて
前者の方を強調して主張するのは
返答に困るからきつい、返せないんじゃなくて、説明が面倒。

でも多分この辺が
僕たちの完全な価値観の違いを様相しているんだろうけどね
それなら仕方ない、分かり合えない、

ちなみにある人が言っていたけど
辞書も人が作ったものだから、それを基礎におくことも
結果としては人の価値観を基準にしてそれに則っているだけに過ぎないのです

さてと、ところで
物依存は非常に容易くお勧めです、個人的にですが
音楽、酒、薬 etc…
ただ、それは別に「物だけに依存する」という訳じゃなくてね
君はどうしてそこまでall or nothingなのかなぁと
人と少しでも関われば依存だ執着だ言うのは止めてほしい
単純に不愉快だし
それは君自身が接触を恐れていることの裏づけにしかならない

君の価値観は周囲の価値観と完全一致な筈がないんだから
周りがどう思うかなんて心配は迷惑だし、そも無用なのですよ
お互いに根拠がないから、こうだと断定する権利もお互いにない

僕は人間不信です
ただだからこそ、ほんの少しだけ、信じれる人がいて
彼らの為なら自分の命も安いくらいで
そう、人間不信が故の人間信用方法
これを依存というなら恐らく
君は依存という言葉に恐怖心と嫌悪感を持ちすぎて
自分ができないことを敵にすることで自己を正当化していることになるんだけど
どう?

僕として僕は行くんだよ。
したいことをしたいようにするだけ

『奴は言う、こう「あぁ低脳」、もう結構!
流行りもねぇ、もう、伝統、ノー
んで行こう! ほらボス落とせ!』

所詮同情の群れだからね、何言われても怖くないし
気にしない、のんびりと僕は行くよ、素直にね
生き急ぐことはない、速度は同じなんだからね
今更綺麗に生きるなんて遅すぎるんだから
それをいい事とは思わない、頂上目指すのは何で?
それがいい

「信じるってことは つまりそれは
それでも信じたいということだ。」
うん、それでも僕は彼らを信じるよ。

並行懐疑 chapter1

話しても堂々巡りなんてことは判ってるのに
何かどうも、相手の意図がいまいちわからない感じで
僕を潰したいのか、考え方を単に聞きたいのか ね

とりあえず悩んでるみたいなので、聞いて話してをしてるのですが
現状を変える気があるのかどうか微妙に見える
まぁお互いに根本がまったく違うから
永久に噛み合わないんじゃないかとは思うのだけれど
とりあえず話をするのは嫌いではないので
まぁいいかと思いつつメモを置いておきます

行動の一つ一つに意味の有無を考えてから行動を起こすのは
僕としては非常に確実で単純な考えの一つだけど
意味の有無を考える時点で既に脳内で結論づいていて
その方向に持って行こうとするのは
それこそ意味がないんじゃないのかと思うので

思考は
目的地なんか見えなくて当然のものだと思っていて
真っ暗の中で手探りをして一つずつ確かめていく
そんな作業との戦いなんだろうと思うのです、暗中模索

そんな真っ暗闇の中に、目的地が見えたら
本能的にそっちに向かうだろうと
それはつまり、出口の光で道が導かれていて
同時に
個人的には思考の本質だと思っている部分の
「探す」という行為を
失っていることなんだろうと
それは思考とは言わない、目的地までの交通手段を考えるだけの作業

あてもなく、ゆくあてもない
そんなものなんじゃないのかなと思うのです

逆に真っ暗闇で怖がって動かなかったり
選択肢の多さに迷って延々とその場に立ち続けるのも
勿論何も生まれない
待ってれば何か助けや光はくるかもしれないけど
かもしれない、1回あったからと言ってそれにまた縋るのは
少なくとも僕は嫌だ。

要は思考は暗闇迷路げーむ
みたいなものじゃないのかと思います
ぎぶあっぷすればいつでもそこから出られる
所謂、「思考の放棄」

ただそれは
迷路の中の落し物を探すことを諦めたということで
どこかでそれが必要なときが必ずくると判っているのに
なんとかなると思って見捨てる
そんで後で困って壊れたり迷惑かけたり

僕は迷路が大好きです。
ずっと出れなくてもいいと思えるくらいで
出口見つけても他がどうなってるのかと気になって
歩き回る癖があります。
多分これは思考についても同じことで
結論は割とすぐ出るのですが
それに決め付けず、他の可能性を探る
他の出口を探す
迷路はいつでも出れるけど、敢えて出ないということ
思考依存、迷路依存に近いのでしょうと

終わらない思考迷路
終わらせたくない思考迷路

だから可能性、つまり分かれ道を
限定したくはない
全部行ってみたいじゃんと思うのですよ

先入観や偏見を持たないようにしてるのは
この辺りから来てるのかな と

そんな感じでとりあえず一区切り
また別のお話をば