とうめいなじかん

さて、やり方を考えないと

痛む
疼く

必要な物が何かも
それがやって来ることも
わかっているのに
わかっているから

予定通りだった
ギリギリだけれど、間に合う筈だった
此処で消耗が増えなければ

先週の不穏の全てに今は殺意を投げる

あまり やりたくはないけれど
少しばかり、厭な痛みの中を駆け抜ける
緊急時の処置方法
もう、耐性も無くなりつつあるから
今はかなり辛いんだろうけど

先ずは船出のタイミング
其れまでは、感覚を開けて
欲しい痛みを欲しい儘に

ナイフ

誰でも
言葉と言う刃は持っていて
それは刺さることもあれば
弾かれることもある

刺さり易い相手に
意識無く投げつけるナイフ
それは非常に一方的で無自覚の暴力
かつての彼がしていたように

自分の言葉が危ない と
強い自覚を持ってからは
扱いに気をつけるようになった

それに何も
刺し貫いて切り裂くだけが
ナイフの役割ではない

巧く扱えば
傷口に溜まった膿だけを
綺麗に削ぎ落とすこともできる

力任せに投げつけるのではない
それならただの物理的暴力と
何ら変化はないし
自らの時間や疲労についても非効率的

スマートな解決を狙いたい
特に、破壊に関しては

腐った心を刃で射抜いて
そのまま跡形もなく
燃やしてしまえる程には

後は加減を覚えて
傷口に巣喰う毒虫だけを殺せるような
しなやかさと鮮やかさを

君の言葉も君の言葉も
全部 刃なのだ
その認識を どうか

week

目眩のする程に
目まぐるしい一週間が
ようやく終わる

僕自身の思考の構築方法
展開力と視点の増加
感覚と理論の併用構築

周囲の出来事による
認識の確認と自意識の再強化
手加減の為の言葉の選別

疲弊もしたが
その分に得る物も大きかった

後は落ち着きではない
純粋な安心感を待つ
もう少し

さて、使用した物が流石に多い
僕も休まないと

ゆっくり、眠っておくれ
おやすみ

pride

他人事だなんて、甘く見てはいない

我が身にも十分に降りかかる可能性がある
そんなことは、痛い程良く判っている

経験があることに強い感謝
しかし、其処に甘んじてはいけない
あくまでも経験は一つの事実が
其処に存在したということにしか過ぎないから

怖いよ、勿論まだまだ怖い
でも足は手は引っ込めない
もう触れるのだ
もう進めるのだ

いつか書いたこと

全ての可能性を否定しない

進み続ける限りは
いつだって死神は見え続ける
ならば
逃げずに、闘うのだ
いくら怖かろうと
いくら卑怯にされようと

いつだって
負けるつもりはもうない

天使の胃袋

文字起こしの力は
かなり使いこなせるようになったか

もう大分と落ち着いたようで
此までなら
とうに壊れて暴れていた程の鬱屈さを
今回は飲み込んで消化できた

刃は最低限に抑えて
その僅かな刃も痛み分けを選び
両刃と知った上の必要行為

そう
覚えたんだ
君の得意は此は
もっと僕に向いた扱い方があると

僕には絶対的な攻撃力はない
けれどね
適切なタイミングを見計る眼がある

余計な力は必要ないんだ
必要なときだけに
一瞬の全力をこめて
火をつける

それだけ判れば
うん、十分だよ

moon fall

先刻の対象に対しての
三枚展開

但し、此は極短期間での展開に過ぎず
故に、現在は既に未来にある。

▽現状:剣の10 逆位置
 一時的な好転・つかのまの有益な立場・そして好意
 (苦労の末の勝利、大胆な行動、好意と感謝を受ける、有利に運ぶ、目的に近付く、殉教を覚悟した行動。)

▽行動:聖杯の4 正位置
 疲労感・嫌悪の状態・浪費する日々・倦怠・がっかりする
 (倦怠、嫌悪、不満、厭き。健康状態、寿命、強迫観念、妄想、欲望、目的、能力、応用、適用。)

▽未来:棒の8 逆位置
 なにかが離れてゆく・ゆるやかな動き
 (嫉妬、ふてくされる、家庭内の口論、浪費の多い旅、慌しい決定、激しいやり取り、喋り過ぎ。)

展開解説。

▽現状
切羽詰まった故の決断。己にとっての有益のみを考えた行動。
けれど剣の10、既に身体に10本もの刃が刺さり、身動きが取れず
どの刃が致命傷かもわからない現状。
選択のどれが命取りで どれが救いかは見えていない。

▽行動
強迫的に目標に縋りつく欲。
嫌悪と疲労で狭まり、現状の痛みに眩む視界。
なにかわからないものに追い込まれている故に選択を有益と取らざるを得ない。
それが一番欲しい物に結びついていると盲信している可能性。

▽未来
現状・行動を振りかえった瞬間に気付ければ、離れていったものに
漸くやり過ぎたという後悔。そこから何故、救いが無かったのかという憎悪に近しい嫉妬。
気付けなければ、そのまま日々と趣味にのめり込んで浪費してゆく日々。
己を顧みないまま突き進むむなしさの日々を無自覚に歩む。

from the author at **葵咲天傑**

picnic

此の場所で
希望を見つけて
希望を棄てて
また希望を拾い集める

音楽には幾度も救われて
音楽にも幾度も殺されかけて

繰り返した此処幾年

最後に僕を生かしたのは

音なのだと

好きな音を持って
少し遠出しようか
お酒と煙草を添えてね

desire

権利を主張する前に義務を果たせ
というのは
欲を叶える代わりにそれに見合った物を持ってこい

と近しい感じを覚えた

欲しいものに対する執着心の強まりとは
見事なまでに反比例して
代わりに渡す自分の持ち札が
時を増すごとに貧相になっていく

ひとえに足りないのは自覚
欲張るのなら、その分頑張らないと
欲は頑丈を柔らかく殺そうとするから
それを避けなければ
欲は暴走を始めるのみ

そうやって
見捨てられたとしても
重なるのは欲にまみれた言葉のみ

エンジンを切らない
と言ったのは
限度を知らない欲を
行動で制御する為

あぁ、結局僕にとっては
自己であれ他己であれ
師は反面教師の存在なのですね

depend

さて、その解釈の上で

何が問題なのかを、改めて見る。
僕はどうしたいのか
何がやりすぎなのかを、考える。

無闇な行動は
最低限に留めたいから。

まず、所属からの離脱。
其処にいる人よりは、音楽が絶対上位
これは変わらない。

じゃあ、何故痛い?
中途半端に築いた関係の崩落
時間の無駄だったということ
根源的な空虚感を引き起こす要因

ならば、とるべき行動は?
全ての断絶か、違う。
最低限の断絶か、まだ手はあるはず。違う
逆に、切る という行為から一度手を目を離す。

切断よりは、連繋を意識に置く。
現在ある、確実なものに対する更なる信頼。
その場合の危惧要因は、負の依存
しかし、それは前述したから、回避も予想が付く。
危惧要因から考えるのではなく、恩恵を。

かつてない安堵
全ての無駄な痛みを取ってくれる存在。

意識を持つこと、どうしたいか
最終的な状態を想像する
その上で発生すると予測される問題
加えて、障害を如何に処理していくか。

つまり、葉月の終わりを待つ。
断絶を行うのは、その時。
今実行するのは
敗北であり繰り返しであり退化であるから

あとは
途中に現れる、嫌でも目に入る鬱屈
此に関しての処理方法
煩い、日記でやれと一喝するか。
自己処理をかけるか否か

いや、日時的な目標地点が定まった段階で
そこに対する短期的な耐久、処理方法が導かれる。
其処に平常よりも意識の割合を15%加える
此処に関しては対象ごとにさらに要素分解を加える。

あとは
前進行動のエンジンは休ませても止めないこと。
どうありたいか、どうなりたいか
理想想像図を浮かべて、思考を当てはめていく
今なら、身に付けた感覚もついていてくれるし
痛みを投げつけられる存在もいるから。

僕は、僕の方法で
連れて行きたい人だけを選び
進む。

75%解決、78点、久々にしては、なかなか

rely

定期的に行っている気がする。

依存 に対する認識、解釈

依存を嫌悪する、忌避する人が多いのは
恐らく、この言葉から想像されるものが
自分が決してしたくない行動であるから
或いは、既にそれを経験して辛酸を舐めたことがあるから
或いは最悪の場合として
単純にマイナスイメージでしか嫌悪の理由を持ちえていないか

しかし重要なのは
依存という単語、それ自体に悪は全くなくて
単に言葉を使う人の意識の持ち方や
経験などに基づいた思考の持ち方により
悪とされていることが多い

かく言う僕も
依存を嫌悪している側の人間だが
この解釈の元に、改めて考え直してみると
依存は決して完全否定するものではない。

「依」ることで「存」在を証明することならば
「~がいないとダメ」という状態は納得が行く。
しかし、これでは世界がその対象だけで全て完成してしまい
一切の進歩、成長は見込めなくなる。
此れが所謂、一般的に嫌悪とされている依存であろう。
僕はこれを「負の依存」と呼んでいる、無論これは忌避すべきである。

では、「正の依存」とは何なのか。
建設的依存、健全な依存とでも言い換えればいいのか。
一つ仮定を挙げて話すのなら
負の依存に陥る者の多くの共通項として
『いずれかが確立した自己の意識、思考を持たない』
ということが挙げられる。
自分の考えがわからないから、結論や選択といった面倒なことを全て相手に任せる。
任された方はそれを一つ一つ下していけば、自ずと自分だけの世界というものは構築される。
これを負の依存の発生条件とするならば
正の依存を起こすには、その逆を取ればいい。
つまり、双方が確立した自己意識を持っていること。

もちろん、この条件の下に出てくる質問は
この状態では依存は成立しないのではないか ということであろうが
特定の相手と関係を持つことで
それまで抱えていた自己の認識、想像、理想の範疇を
大きく超えることが可能だとしたら

無論、確立した自己を持っているならば
取るべき選択は、さらに上を目指すこと。
ならば、導かれる行動は

「依」ることにより、自己の想像を超える自己の「存」在の可能性を叩き出す。
此れが僕の考える「正の依存」である。

一般的なイメージの依存とはかけ離れ
同義語ともいえる共依存とも違う
言い換えるならば、そう、これが共存ということ。

共に存在していくということは、必然的に相手を認識して意識に加えることが必要条件だ。
それは言い換えれば、相手の存在があってこその自分の存在だということであるし
その逆も言える。
つまりは、それを依存とも言えることができる。

依存という単語に、踊らされている人が多すぎる気がする。
自らのイメージだけで単純嫌悪するのではなく
言葉の意味、行動の方法、解釈の方法から
改めて考えて、その上でどういう依存が嫌いなのか、怖いのかを
説明できる人は、きっと少ないのだろう。