ぼくら対せかい

2012年に結婚して、今年で14年が経つ。

相手はこのブログを初期からずっと読んでくれていた人。そして出会うまで私に何のアクションもしてこなかっ人。

有り体に言うならば、ネットストーカーと結婚したことになる。

但し、ものは言いようで彼女からは「推しと結婚できた」ようなものらしい。
私のどこに推せる要素があるのかは未だにわからないままだが、主観と客観の違いということにしておく。


子供については2人とも「不要」という結論に早々に至ったのもよかった。双方の親がノンデリだったので、(傷つけずに)躱し続けるのが面倒だったが、最近漸く諦めたようで何も言わなくなった。

実際これ以上言ってくるなら絶縁する予定だったので、命拾いしたと思う。
※これについてはまた別の機会に詳しく綴ることにする。

一方で、子供を造るということ自体は、我々にはできなかった選択でもあるので、子供がたくさんいる人は尊敬に値するな という気持ちもある。そういう人には親切にしようと思う。

実際、当時から子供を持つことに対しての恐怖心はあった。
おそらく、我が子に対して「無条件で可愛い」と思う とか そういう要素は自分は感じることができなくて、何かの要素で自分を超えて社会的に成功しないと平然と勘当しようとするのだと思う。

「産まなきゃよかった」対「産んでくれなんて頼んでいない」

生まれる方は生まれることを望んでいないから。そんなエゴに巻き込みたくないという気持ちが先行する。
思考を放棄したまま「親」という役割を引き受けるには、私はあまりに世界の構造と、自身の割り切れなさを知りすぎてしまった。

​適合しない要素は、最初からシステムに組み込まない。

僕の過去の轍を見る人よ

此処で逢うのは偶然じゃないさ

お久しぶりです。
随分長い時間が経って、誰が見ているかもわかりませんが。
環境と考えが落ち着いて、当時の僕が憧れた自分になれたので、もう一度「Leben」として好きに書いてみようと思います。

本格的に記事を書いていた頃から考えると、15年程経っているんですね。
当時の散文的な書き方はしないし、できないと思います。今見ると自分でも何の話かわからなくて苦笑してしまう。
もう良い年なので、好きに書くし、容赦なく書くつもり。

昔の記事もこうやってみると生き様を現す遺産なので、残しておいて。今後はいつもどおり、自分のメモとして。

結局、世界は嫌いなままで、でもそれで良いということがわかった。

生き急いでいるように見えるなら

それは君が何も知らなすぎるだけ

色々と思い出すことが多くて
懐かしさが酷い最近

幸せになることが最大の復讐
てのがよく言われるけれど

そんなのは最低条件で

あの豚はそろそろ屠殺時かしら

ほんとうに
あらゆるコミュニティが面倒だ

昔は参加できない恐怖感に喰われそうで
今はどうだ
関わらないでくれという嫌悪感

圧倒的だ
この左手は
あらゆる無駄を省いてくれる

諦めとか、絶望とかの話

くだらない理由で
自分では抑え切れない憎しみを
僕に向ける人が
よくいるのだけれど

(そもそも人に好かれるように生きていないけれど)

一時的な立場で僕を蔑んで
それが破綻したら
死にたがり

このパターンは飽きました
優越感に浸りやすいのは
あほう の 共通点 ですか

昔はブログが主流で
mixiが出て、今はTwitter
どんどん構ってちゃんの為に
Webのソーシャル化が進む

助けを求めやすくなって
弱い人間ばかりが増える

独りだから続けられることもあると
判る人はいるのか

碌に人と関わらず
ひたすらに書き続けた日々は
決して無駄なものでは無かったよ

君たちは
僕より弱いんだ、弱過ぎる
僕が異常なのではなく

誰かが成功しないと動けないなら
君たちに成功は訪れないよ

(Twitterは攻撃ツールとしては非常に優秀ですね。)

状況はどうだい?

僕は僕に尋ねる

結婚しました。

一生縁のないものだと思っていただけに
わからないですね

死ぬ理由がなくなったのは
少しばかり寂しくもあるのですが

選択したのは自分なので
精一杯生きます

突っ走ったままのコースは
あと1年くらいで潰れていたのか

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選択が早いって
寂しいのは嫌なんだ

好きに生きると
発作が起きるんだ

根本から足りていない
わかっているからこそ
それを欲しがるのではなく

ねじまわし

卒塔婆が歯に刺さっている。

仮に
限界というものを定義するなら
それは既に足元にあるのでしょうね
理解はしているけれど、把握はしない
そうしないと、動けないから

そもそもあまり
揺らぐことなんてなくなった
だから偶に来るとこうも大変なのでしょう
とにかく気持ち悪い。

悪いのは自分って
決めつけた方が楽なんだ
一方的に蔑まれたり、裏切られたり、捨てられたりしても
原因を全部自分と仮定して
自分を落としてから行動に移る
結果的に人間不信になるのが条件だけれど

逆に言えば
これが正常にできなくなる時は
人を人として見ているということ

自己嫌悪で塗り潰すのがここまで厄介なのは初めて

あと、最悪に鬱陶しいものに纏わり付かれる

それともあれか
湧き上がるそれを絶対悪としているのが問題なのか

やめだ、自己正当化とか気持ち悪い。

煮え切らないのは甘えているだけ

爆発的な否定要因に、困惑していて
反動が大きいだけなんだろう
でないと、この衝動は説明がつかない

この感覚
16歳の頃に似てるなぁ
あの時程短絡的ではないけれど
閉塞感みたいなもの、か。

いい年になってきているのに
相変わらずだな全く
偽りでは襤褸が出てしまう

いつになったら落ち着けるのか
果てしない諦めの海に全部投げ捨ててしまえるのか

絶対的な何かが足りない
納得が行かないのは、それが補えるものだとわかっている点か。

そうだ 生きる

もうここを見ている人は

殆ど居ないのだろうけれど

賭するものがあるから

結局は動くことができるのでしょうね

あのまま突っ走った僕なら

きっと今頃電池切れだ

何人かが先にみた感覚は

こんな感じなのでしょう

わからないだろう なんて

強がっていた自分もいるのでしょうね

くだらないからあきらめない

変な意地で生きた例がこれで

そこそこ器用に
運良く若かったんだ

まだ
おわりません よ。

別に何てことないんだ

随分と放置でしたね。

最近はめっきり話すこともなくなりまして
いい事なのか、そうではないのか

淡々と仕事をして暮らしています。

経験かどうかはわかりませんが、落ち着きだけは手に入れたようです。

あれこれ足掻いても
結局同じように生きていけるのか
結局同じように生きるしかないのか

ただ
無駄ではなかったと、思う。

あの日々は
別に遠くもないし、近いとも感じない

並行世界みたいなもので、手の届くところにはあるのだけれど

ただ、会って一言云いたい人が

あとふたり

いつか見つけて伝える

相変わらず音楽はずっと聞いている

もう2年くらいsyrupは聞いていないけれど
今は純粋な音楽として楽しめそうなので

amazarashiが いいですね

興味のないことを放棄できるようになっただけ
余裕ができたのかと思います

そういえば、冬はもう怖くないんですよ

桜の匂いで死にたくなることもないんですよ

でも、忘れたわけじゃない

あの感覚は、いつでも取り出せるようにはしておきます

人間らしい文章を書くようになりましたね。

HYS

18から書き始めた此処も

もう僕は24で

多分ね
年齢なんて本当はどうでもいいんだって

この時期だけ気にする
5月病みたいなもの

一つ増えた瞬間で
何も変わらない
何も成長しない

多分次は27で気にしてみれば
その次は30

何も起こらなければ
生き続けるのはわかるから

忙しい年になりそうだよ
まぁ、とりあえずもう少し
いきますか