picnic

此の場所で
希望を見つけて
希望を棄てて
また希望を拾い集める

音楽には幾度も救われて
音楽にも幾度も殺されかけて

繰り返した此処幾年

最後に僕を生かしたのは

音なのだと

好きな音を持って
少し遠出しようか
お酒と煙草を添えてね

desire

権利を主張する前に義務を果たせ
というのは
欲を叶える代わりにそれに見合った物を持ってこい

と近しい感じを覚えた

欲しいものに対する執着心の強まりとは
見事なまでに反比例して
代わりに渡す自分の持ち札が
時を増すごとに貧相になっていく

ひとえに足りないのは自覚
欲張るのなら、その分頑張らないと
欲は頑丈を柔らかく殺そうとするから
それを避けなければ
欲は暴走を始めるのみ

そうやって
見捨てられたとしても
重なるのは欲にまみれた言葉のみ

エンジンを切らない
と言ったのは
限度を知らない欲を
行動で制御する為

あぁ、結局僕にとっては
自己であれ他己であれ
師は反面教師の存在なのですね

depend

さて、その解釈の上で

何が問題なのかを、改めて見る。
僕はどうしたいのか
何がやりすぎなのかを、考える。

無闇な行動は
最低限に留めたいから。

まず、所属からの離脱。
其処にいる人よりは、音楽が絶対上位
これは変わらない。

じゃあ、何故痛い?
中途半端に築いた関係の崩落
時間の無駄だったということ
根源的な空虚感を引き起こす要因

ならば、とるべき行動は?
全ての断絶か、違う。
最低限の断絶か、まだ手はあるはず。違う
逆に、切る という行為から一度手を目を離す。

切断よりは、連繋を意識に置く。
現在ある、確実なものに対する更なる信頼。
その場合の危惧要因は、負の依存
しかし、それは前述したから、回避も予想が付く。
危惧要因から考えるのではなく、恩恵を。

かつてない安堵
全ての無駄な痛みを取ってくれる存在。

意識を持つこと、どうしたいか
最終的な状態を想像する
その上で発生すると予測される問題
加えて、障害を如何に処理していくか。

つまり、葉月の終わりを待つ。
断絶を行うのは、その時。
今実行するのは
敗北であり繰り返しであり退化であるから

あとは
途中に現れる、嫌でも目に入る鬱屈
此に関しての処理方法
煩い、日記でやれと一喝するか。
自己処理をかけるか否か

いや、日時的な目標地点が定まった段階で
そこに対する短期的な耐久、処理方法が導かれる。
其処に平常よりも意識の割合を15%加える
此処に関しては対象ごとにさらに要素分解を加える。

あとは
前進行動のエンジンは休ませても止めないこと。
どうありたいか、どうなりたいか
理想想像図を浮かべて、思考を当てはめていく
今なら、身に付けた感覚もついていてくれるし
痛みを投げつけられる存在もいるから。

僕は、僕の方法で
連れて行きたい人だけを選び
進む。

75%解決、78点、久々にしては、なかなか

rely

定期的に行っている気がする。

依存 に対する認識、解釈

依存を嫌悪する、忌避する人が多いのは
恐らく、この言葉から想像されるものが
自分が決してしたくない行動であるから
或いは、既にそれを経験して辛酸を舐めたことがあるから
或いは最悪の場合として
単純にマイナスイメージでしか嫌悪の理由を持ちえていないか

しかし重要なのは
依存という単語、それ自体に悪は全くなくて
単に言葉を使う人の意識の持ち方や
経験などに基づいた思考の持ち方により
悪とされていることが多い

かく言う僕も
依存を嫌悪している側の人間だが
この解釈の元に、改めて考え直してみると
依存は決して完全否定するものではない。

「依」ることで「存」在を証明することならば
「~がいないとダメ」という状態は納得が行く。
しかし、これでは世界がその対象だけで全て完成してしまい
一切の進歩、成長は見込めなくなる。
此れが所謂、一般的に嫌悪とされている依存であろう。
僕はこれを「負の依存」と呼んでいる、無論これは忌避すべきである。

では、「正の依存」とは何なのか。
建設的依存、健全な依存とでも言い換えればいいのか。
一つ仮定を挙げて話すのなら
負の依存に陥る者の多くの共通項として
『いずれかが確立した自己の意識、思考を持たない』
ということが挙げられる。
自分の考えがわからないから、結論や選択といった面倒なことを全て相手に任せる。
任された方はそれを一つ一つ下していけば、自ずと自分だけの世界というものは構築される。
これを負の依存の発生条件とするならば
正の依存を起こすには、その逆を取ればいい。
つまり、双方が確立した自己意識を持っていること。

もちろん、この条件の下に出てくる質問は
この状態では依存は成立しないのではないか ということであろうが
特定の相手と関係を持つことで
それまで抱えていた自己の認識、想像、理想の範疇を
大きく超えることが可能だとしたら

無論、確立した自己を持っているならば
取るべき選択は、さらに上を目指すこと。
ならば、導かれる行動は

「依」ることにより、自己の想像を超える自己の「存」在の可能性を叩き出す。
此れが僕の考える「正の依存」である。

一般的なイメージの依存とはかけ離れ
同義語ともいえる共依存とも違う
言い換えるならば、そう、これが共存ということ。

共に存在していくということは、必然的に相手を認識して意識に加えることが必要条件だ。
それは言い換えれば、相手の存在があってこその自分の存在だということであるし
その逆も言える。
つまりは、それを依存とも言えることができる。

依存という単語に、踊らされている人が多すぎる気がする。
自らのイメージだけで単純嫌悪するのではなく
言葉の意味、行動の方法、解釈の方法から
改めて考えて、その上でどういう依存が嫌いなのか、怖いのかを
説明できる人は、きっと少ないのだろう。

plankton

久しく難解なものが舞い降りたので

包括的な展開ではなく
一度分解して組み上げる

多角的に個々を分析しないと
少しこれは解決できないかな

一つ一つの処遇がまだ
納得の範囲に及んでいないから

問題全体を一つと捉えて
どうするか
やるかやらないか
という単純な話ではないし
その方法だと理解と認識にブレが生じるから

構成要素一つ一つに
理由を当てはめていく
それらを繋ぎ合わせれば
自ずと結論はできあがる

よし、思い出した
此だ、うん、これだ

18 落書きを消しに

生きてるだけで幸せなんだろ?
悩みなんか無いんじゃないの?

開けっぴろげにした僕の本音の塊は
誰にも拾われることはなく
代わりに置いて行かれたのは
ひたすらの心ない言葉達
それは悪口の不法投棄で
捨てられた僕の中には
投げつけるだけ投げつけて
誰も二度と見向きもしない
汚い落書きの跡

ずっと
汚いものが嫌いだった
唯でさえ汚いと思っていた僕自身を
更に汚していく無秩序で無鉄砲な言葉

灰色の壁は汚い言葉で埋まり
幾ら擦ったところで
矢継ぎ早に飛び込んでくる次の言葉

汚れを落とすことを諦めたので
落書きの犯人達に
壁ごとぶつけることにした
かつて自らが投げた言葉を
そのままに投げ返すだけ
殴りつけたり
斬りつけたり
刺しこんだり
誰が用意した言葉だ?
何も悪くない
何も悪くない

愉しくなって今度は
自分でナイフを用意して
壁の中にこっそりと仕込んだ
そのナイフは素材の言葉をより鋭く研ぎ
壁に刻まれたその言葉達を
一つ一つ剥がしていった

壁は日に日に削られていく
いつしか
あれほど沢山あった落書きは殆ど消えて
残ったのは無数の傷跡
自分の刃で削った傷だけが目立った

少し気に食わなかったけど
まぁいいかと、そのまま続けて

ある日、壁が倒れた
削りすぎた壁は自らだけでは立つことはできず
埋め隠した刃が自らに刺さった

痛い と思った
それでも気付いたのは
落書きは壁だけにあったのではなく
もっとずっと深い場所

いよいよ、境界を失った
また僕は刃で繰り返すのか

「42℃のお題」より
https//sos.eco.to/c/t/

ねがいごと

どうすればいいか なんて
してはいけないこと も
全部分かっている から

後は自分を納得させるだけ
さぁ頭を回そうか

単純に いやだ という感情が強い
僕の場合は感覚か
それだけを理由にしては理由にならない
それは確かなこと

素直さを引き出すことは重要だが
傲慢になってはいけない
此処まで押し上げた自分が
また戻るだけ

時間が経てば成長する人が居る
時間が経っても変わらない人が居る
時間が経てば退化する人も居る

腐ってなるものか
退化して排出できず
毒水に冒され
ふやけた手で触られるくらいなら
その前に
その毒が効かないような
鎧を築く

故に
此方からは何も動かない
折角の刃を
錆びつかせたくはないから

鎧はもう
錆びないのだ
それに
手を入れられる人はいるから

お前等の浅い思考程度じゃ
到底追い付かないよ
弾き返されるのが関の山だ

倍速コード

中途半端な関係を
一掃したくなる

久しく夢見が悪かった
煩わしさは眠りから覚めても変わらず
都合良くまとわりついてくる
群れた獣どもを蹴散らして逃げて
一番鬱陶しい奴の口の中に銃を詰めて
迷わず引き金を引いた

そういうゲームだと知ったので
後は逃げて
生き残るのが何となく判ったから
飽きたところでもういいやと
目が覚めた

繋がりがあるのが既に面倒だと
改めて感じる
あの夢の後か、煩わしさは一層に
自分は癖のある性格だなぁと認識

あぁ、些細にしろ関係がある自分が
恥ずかしいね

いままでのこと

恐らく
感じたことは
数回にしろ
あるはずだ

しかし
自意識がそれを否定し続け
認識にまでは至ることはなかった

何度でも言う
僕は認識をしない限りは
幾ら自然に感じたことも
嘘になってしまう性質

だった

今度ばかりは 言う
最後のチャンスなのだろう
否定を繰り返した彼も
今ではもう、その必要はなく

僕は単純にそう感じることを
有り得ない程に
まるで初めてではないように
すっと認識に取り込むことができた

僕の難解な自己理解を
同列の位置で汲んで
それを渡してくれる

分かった振りではなく
分かったつもりでもない
純粋に分かったことだけを
慎重に大胆にぶつけてくれる

無論、この認識にも
幾つもの問いかけを繰り返して
確認を重ねた

それでも
覆らなかったのだ

だから

いままでのことは
ながしてしまおう
それであたらしい
じぶんをみつけて

愛しい。